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2005年06月09日

千葉消防徒然話 その15

長年、千葉消防のリーダーとして活躍した中央署1分隊のバリバリ速消車
P11z.jpg

>masa様
>皆様

謹んで新年のお慶びを申しあげます。


千葉市 TAK

久しぶりの千葉消防徒然話の書き込みです。

各消防関係のBBS・掲示板でしばしば質問に登場するのが「速消車」という、現在ではほぼ、死語になった名称です。
ごく大雑把にいえば1立方メートル以上の水タンクが付いた火災現場の水利に頼ることなく火点直近に部署して積載水での初期消火活動ができる水槽付ポンプ車を指すのが「速消車」の認識として一般的なのですが、さらに厳密に言えば、固定式(取り外しが可能なものも。)の棒状放水用チップの付いた放水銃が装備されているのが本当の意味の正統派の「速消車」ということになります。

その意味では千葉消防には全ポンプ車のリーダー的存在として中央署本署1分隊にまさにその速消車が長年活躍していました。
(正確に書くと千葉市消防署本署1分隊から千葉市中消防署本署1分隊、そして中央署本署1分隊の順になります。)

当時の雄姿の写真を下記のアドレスにアップロードしておきます。
ご覧になってみてください。


http://www1.plala.or.jp/TAKSOHO/CFD/P11/


このいすゞTX Sr.5ロングノーズボンネット型水槽付ポンプ車(はたしてTXの何番になるのか資料が見つかりませんが・・・)は昭和38年2月に千葉市消防署本署1分隊に新規配属されました。
車両識別番号はA22でした。
(当時、Aは水槽付ポンプ車を示していました。)
この車両は千葉消防で初の隊員の安全乗車を図った低床5mロングシャーシーのダブルデッキの豪華版車両でした。
(もっとも当時の東消庁のポンプ車はすでにすべてメタルハードトップのダブルデッキでしたが。)
屋根は本来露天のオープントップに幌布を張ってある、側方窓もドアもない飛び乗り型のシートでした。
車両最後部の最下部には古いホースカーの形式の箪笥の引き出し状の輅車(らくしゃ)が文字通り引き出し式に装備されていました。
そしてボディー上部には冒頭に書いた進行方向に向いた固定式放水銃が燦然と装備されていました。
(もしかしたら取り外しが可能だったのかもしれませんが。
千葉消防の他の水槽付ポンプ車はすべて可搬式放水銃を積載していました。)
ナンバープレートは「11」という2桁のいかにも覚えやすい千葉消防のリーダーポンプ車にふさわしいナンバーでした。
千葉市消防署本署1分隊(のち中央署本署1分隊)という所属は千葉消防の最も要のポジションで、千葉消防の所有ポンプ車の台数が少なかった時代、
(なんせ、昭和46年5月の田畑デパート火災当時に消防団の所有ポンプを除いての化学車を含めた第一線出場可能全ポンプ車がたったの23台だったのですから。)
この車両は中隊指揮車(現在の大隊長乗車の署隊指揮統制車)も兼ねており、中央署管内全普通2出火災以上と市内の相当大部分の延焼火災時に市の中心部から方位360度、北へ南へ、西へ東へと
走り回っていました。
いわば当時の主要な火災現場には必ずといっていいほど臨場していました。
余談で言えば、現在の指揮統制車にはなくなったのですが当時、中央署本署1分隊および北署本署1分隊の水槽付ポンプ車には緑色の回転灯が搭載されていました。
これが積載されていた「現場指揮本部」の幟旗とともに現場指揮本部の所在を示す目印となっていたようです。
(ただ、南署本署1分隊の車両にはなぜかこの緑色の回転灯はのせていなかったので必ずしも正式な標識ではなかったのではないかと思われます。
他の消防機関でも緑色の回転灯の実例は知りません。)

もっとも「速消車」には当時からいろいろな是非の議論が生じていて、結構、大火の原因を引き起こした原因としてしばしば糾弾の的とされていました。
具体的には、強風・烈風天候時に最先着部隊が積載水に頼って火点近接部署と中継送水体制をとると初動時放水水量が十分でなく、頭上を火の粉が飛んで大規模飛火延焼火災を引き起こす。
強風・烈風時には最先着部隊は火点近接部署を避けて最初から十分な水量を持った消火栓、あるいは貯水槽、河川等に部署すべきでホースも最初から65mmを使用して十分な距離的余裕を持った延焼阻止線を設定して飛び火警戒部隊を配置するべきだとの戦術的批判がなされていました。
千葉市の昭和45年の亀井町火災の時も火災戦闘戦術検討にはこの点が検討事項として書かれています。
ただ、当時の千葉市内の消火栓・貯水槽の水利整備状況の悪さ・未整備状況からすると速消戦術で小火のうちに押さえ込むことができるか、それとも最初から飛火延焼火災に備えた延焼阻止線を張るかは結局はギャンブルなのですから当時の消防力と水利の便の悪さや水利統制を敷いていなかったことを考えると止むを得なかったのではないかと思います。
千葉消防の当時の基本編成であったポンプ1分隊/水槽付ポンプ車、ポンプ2分隊/小型ポンプ車の小隊連携運用方針は現在まで基本的に変わることなく続いています。

この車両は昭和49年12月まで第一線車として縦横に活躍して、その後予備車の期間を経て引退しましたが、多くの火災現場で見たその雄姿は今でもくっきりと心に焼きついています。


以上徒然のままに。


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投稿日:2003年1月4日
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投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:26

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