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2005年06月09日

千葉消防徒然話 その10

梯子付消防車という車両の持つ重要性について
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>masa様

千葉市 TAK

こんにちは。
今回は「梯子付消防車」という車両の持つ重要性について徒然のままに記してみたいと思います。

先日四街道市への梯子車応援出動準備体制が千葉消防内でなされていたとの書き込みがありましたが、中高層建物火災消防戦闘において梯子車の装備がないとしたらこれほど惨めなものはありません。
でも、実際に梯子車無しの最悪の事態が生じたことがあります。

日時をはっきり覚えていないのですが昭和48から50年あたりではなかったかと思いますが、
千葉県館山市の繁華街に位置する伊藤屋デパートに火災が発生したのですが館山消防には梯子車の装備が1台もなく最も近い梯子車所有の君津消防や木更津消防との消防相互応援協定もなされていなかったようでなすすべなく建物が全焼してしまうというショッキングな出来事がありました。
幸い死者はでなかったように記憶しておりますがまったく歯がゆい思いで県の消防課あたりで法的根拠がないにしても前述の君津消防や木更津消防をはじめ、市原消防や千葉消防に緊急避難的に梯子車応援出場命令(あるいは要請)が出せないものかなあと思ったりしました。
(阪神大震災時に生じた問題と同じで当事者自治体よりの要請が届かないと動くことができないという
なかなか難しい問題のですが・・・)

では、中高層建物を管内に持つ消防では果たして最低何台梯子車を装備しておけばよいのかの問題ですが千葉での田畑百貨店火災の前年の昭和45年に栃木県県都の宇都宮市の福田屋デパートで火災が発生し地下B1から出火して地上8階まで全焼したことがありました。
このとき宇都宮市消防本部は18mの梯子車を1台だけ所有していました。
この18m梯子車は千葉消防が始めて導入した(そして千葉県初)いすヾTX641改と同型でした。
(わざわざ宇都宮まで出向いて千葉と同じTX641改であることを確認したことがあります。)
千葉消防は昭和43年の奈良屋デパート火災時には18mと32mの2台で戦いましたし、特別救助隊もすでにありました。
昭和46年の田畑デパート火災時には15mのシュノーケル車が新たに加わっていましたし、市原消防より32m梯子1台の応援を得られました。
(その他、習志野消防からは救助工作車、八千代消防からは水槽付ポンプ車1台の応援をいただきました。)
それでも田畑火災では千葉消防はマスコミや東消庁はじめ他の消防機関から戦術を叩かれました。
装備の不足は市民の生命財産のみならず救助・消火作業にあたる隊員の生命の安全にも関わってくるわけで宇都宮福田屋火災では18m1台では火点上層階に橋頭堡を築くことなど不可能だったでしょう。
はっきり処置なしでした。
また、大量の犠牲者を出した熊本市の大洋デパート火災は昭和48年に発生しています。
昭和45年から48年にかけてはデパート火災が毎年のように発生していました。
これが高度成長化を遂げつつあった経済大国日本の中小都市における消防力の当時の実態でした。
消防機関トップの東消庁と中小都市とではあまりに装備の格差がありました。

当時、船橋消防もまた問題を抱えていました。
持っていた梯子車は24mという中途半端な高さのもの1台きり。
ある日あるお騒がせ男が鉄塔か煙突(確か煙突だったと思います。)
に登ってしまって騒いでいるので県警の要請で船橋消防のその24m梯子が特命出場したのですがなんと伸ばした梯子がはるか下までしか届かず、翌日の新聞千葉版には「高層火災に不安を感じる船橋市民」と書かれてしまいました。
その後、船橋消防には日本損害保険協会より15mシュノーケル車の寄贈がありましたが、
(千葉消防にかつて日本損害保険協会より寄贈されたものとまったく同じ日野TE120改。)
不安は現実化して数年後、国鉄(現JR)船橋駅北口の東武百貨店がら出火しました。大事には至らなかったのが嘘のような幸運さでした。
ところで前回の千葉消防徒然話9に「日本機械」と聞くと反射的にぞーっと総毛だってしまうと書きましたが、その理由というのは以前、日本機械さんがぎ装した梯子車(たしか30mクラスだったように思いますが)が某地方消防機関で庁舎前で延伸点検中に途中からポッキリ鋼製梯子が折損してしまったことがありました。
隊員が誰も乗っていなかったのが本当に幸運でした。
また、救助や消火活動中でなかったのも不幸中の幸いでした。
このあり得ないアクシデントを受けて自治省消防庁(現、総務省消防庁)は真っ青になって言葉を失なってしまいました。
もちろん全国消防機関にはその後厳重な点検を指示し、メーカーさんももちろん事後安全策を構じたことはもちろんでその後そのようなアクシデントは起こっていません。
梯子車の梯体折損事故としては昭和7年の白木屋火災で木製梯子が火災救助活動中折損して以来でした。
メーカーさんから営業妨害発言と目くじらをたてられてはかなわないのでこのBBSのみでこっそりひっそり書きますが。
(でも、事実なのですが・・・)
先日書いた日本一の高さの船橋消防の日本機械製の48.05m梯子の梯子先端にのっかる放水員さんはそれを知っていたら決していい気持ちはしなかった(まだ現役ですので、「しない」かも。)ことでしょう。(笑)

それはともかく、1つの中高層建物火災で火点に直近部署して架梯できるのはホテルニュージャパンや大阪千日前火災の例を見てもせいぜい10台程度が限度かと思われます。
その点から1消防機関において梯子車保有台数10台というのは一つの目標目安になるのかもしれません。
現在の千葉消防は梯子車9台、シュノーケル車1台、高所放水車1台と消防ヘリ2機ですので先日の
富士見町・栄町連続中高層建物火災発生にも対処できるだけの体制がようやく整ってきたようで喜ばしく思います。
もちろん、総務省(旧 自治省)の示している消防基準はもっと多くの台数を求めているのですが、実情でいうと梯子車というのは格納に実に大きなスペースを要します。
結構、梯体を載せている分、車高が高くなるので車庫もそれなりの高さを必要としますし車長が長い車両もあるので奥行きも必要です。
中には車庫の床を掘り下げて梯子車を収容しているところもあるようです。
千葉消防でも中央署本署に新規先端屈折型梯子車を配置するためにそれまで置いていた警防課の防災支援車を稲毛署本署に動かしました。
このように施設面で結構な負担が生じます。
運用人員面でも専任運用するのは厳しく、乗り換えが多くなっています。
また他の特殊車両との配置バランスも考慮する必要が当然あります。
例えば、幕張新都心などの超高層建物に対しては消防ヘリの方が運用の幅が広くとれると考えられます。
当然、ヘリと梯子車との立体的垂直連携戦術作戦をとる必要性が出てくるわけで、梯子車の数だけを増やせば良いといったものではないようです。
各地方自治体の財政が悪化している昨今ですが一応、例を挙げれば習志野・八千代・佐倉といった人口20万前後の都市レベルで修理・定期検査への対処も考えて5台程度の梯子車を備え、隣接消防組織から追加5台程度の梯子車と消防ヘリの応援出場を得られる体制をとっておいて年数回程度の合同訓練の実施といったところが現実的対処ではないでしょうか。

梯子の地上高については、前に書きましたように50mに到達した時点で高さ競争は一応の終息を見たと思われます。


以上徒然のままに。


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投稿日:2001年10月17日
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投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:20

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