« 千葉消防徒然話 その16(続き) | メイン | 千葉消防徒然話 その18 »

2005年06月09日

千葉消防徒然話 その17

千葉消防揺籃物語
中高層建物消防:梯子車編
L17001.jpg

>masa様

千葉市 TAK


先日千葉水上消防揺籃期の話として書き込みをいたしましたが、消防艇、化学車、救助工作車などの特殊消防車両同様、中高層建物火災に対処する梯子車についても、もちろん千葉県においては最初は何も無かったわけで揺籃パイオニアとしての役割を担ってきました。
話はやはり古く昭和35年から始まります。

昭和35年12月に吾妻町(現、中央区中央4丁目)の千葉市消防署本署(後の中央消防署本署)に新規購入の18m梯子付消防自動車が千葉県で初めてお目見えしました。
ナンバーリングは故意か偶然かナンバープレート「17」と同じ番号のC17(ちば17号)とつけられました。
当時は水槽付ポンプ車がA、小型ポンプ車がB、特殊車両がC、救急車がD、それ以外の無線車等がEとつけれられていました。
もっとも特殊車Cはまだ化学車は存在せず、この新規購入梯子車が千葉消防にとっては(千葉県にとっても)一番最初の特殊車両になります。
3段式機械式18m梯子を装備したいすゞTX641改で(TXシリーズのSr.4)
シートは運転席と指揮官席のみのシングルシートで、屋根は本来露天のオープントップに幌布を張ってある、側方窓もドアもない飛び乗り型のシートでした。
放水員さんは梯子のターンテーブルの左横にパイプ組みの掴まりバーがあって立ったままで雨や風にダイレクトに曝されながら出場していました。
車外乗車走行は消防の華でいかにも勇壮なシーンなのですが安全乗車の見地から見ると本当にハラハラさせられました。
自前でA2級ポンプを備えていて棒状吸管を左右2本ずつ縦積みで計4本、車体方向に沿って積載していました。
梯子操作は車外乗車ポジションとちょうど反対側の梯子右側のターンテーブル基部やや上にある手回しハンドルやレバーで機関員によって操作されるようになっていました。
梯子の後下部に糸巻き式のホース巻き取りリールが備えられていました。
要目は機械式梯子の最大起立角度は75度、起立所要時間20秒、伸長30秒、360度旋回60秒となっていました。
装備としてはエアライン(梯体先端への空気補給パイプライン。
空気呼吸器が重くて嵩張って使用可能時間が短かった頃にはエアラインが多用されていました。
現在は特別救助隊などの長時間閉所作業用時の特殊な装備になっています。)と
梯子先端吊り下げ式ライフバスケット、発動発電機を装備していました。
昇降用リフターはついていませんでした。
従って、放水員さんがあらかじめ格納梯子の先端の位置についてから梯子を起立・旋回・延伸させるか延伸した後に梯子を昇るかどちらかになるのですが、大体前者だったようです。

当時の18m梯子車の雄姿の写真を下記のアドレスにアップロードしておきます。
ご覧になってみてください。


http://www1.plala.or.jp/TAKSOHO/CFD/L17/


昭和35年度予算でこの梯子車購入のために予算が600万円も組まれました。
当時、消防車両購入に対する自治省国家補助がどのくらいの割合だったのかはわかりませんが、富士山型甘食パン1個5円の時代でしたから相当高価な贅沢な消防資材であったことは間違いありません。
(現在は国と都道府県からそれぞれ1/3が検定合格を条件に補助されているようですが。)
ちなみに消防車両の価格としては昭和40年12月に初購入された普通化学車が同じく600万円、昭和41年11月購入の32m梯子車が1,800万円とそれぞれ予算が組まれていました。
水槽付ポンプ車は昭和35年当時で270万円の予算計上でした。
もっとも昭和36年当時の消防出張所の庁舎建物の新築建設予算が800万円前後でしたから消防車に限らず、当時の大型自動車自体の価格が驚くほど高価だったことがわかります。

この梯子車が購入された昭和35年には3月に大森出張所が新しく開設されたばかりでそれまでの消防署本署、穴川出張所、蘇我出張所、幕張出張所に加えて1署4出張所の体制が整った頃で117名の消防職員と1名の事務職員が当時勤務していました。
現在の消防局の規模からすると信じられないくらいコンパクトな組織でした。
(大森出張所はのち、千葉急行鉄道建設のため立ち退いて移転して南消防署本署となり現在の宮崎出張所に至っています。)
当時の消防長は2代目千代三郎氏でした。
(警察OB・千葉警察署署長歴任)
千葉市消防本部・千葉市消防署本署合同庁舎は昭和32年に完全竣工したばかりでこの建物は望楼つきの3階建てでした。
ちなみに千葉警察署(後に千葉中央警察署と改称)は当時この建物の向かって左隣、都川側に建っていました。
従って千葉市消防長に就任する千葉県警を勇退した元千葉警察署長さんはすぐ隣の建物に移動しただけということになります。(笑)

1階の消防車両車庫はお世辞にも広いとは言えず奥行きも18m梯子車を格納するのにほぼぎりぎりでした。
このことは後にさらにどんどん大型化していった新型梯子車を本署建物に収納することが不可能という問題を引き起こしていきます。
(早くも昭和41年に購入した警防課直轄特別救助隊の32m梯子車が消防署本署の車庫では狭くて高さも奥行きもないので西千葉出張所に車庫を建て増しして駐屯することになってしまいました。)

当時の東京消防庁と地方の道県の自治体消防のギャップは天と地くらいあって、30m梯子車なんか東消庁管轄ではすでに主要消防署本署に配置されていてそれほど珍しい車種ではなかったのですが横浜消防や大阪消防などはいざ知らず、都心から少しでも離れた千葉や埼玉、茨城、栃木、群馬などの地方県の県都自治体消防においてすら梯子車は高嶺の花であってましてや小都市・町村においてはまだ消防団の方が主力の状態でした。
そこに千葉消防に新規購入の梯子車が千葉県第1号で出現したわけです。
(前にも書いたことがあるように宇都宮消防もほぼ同時期に同じ梯子車両いすゞTX641改を購入したようです。
宇都宮消防のTX641改は後に昭和45年9月の福田屋デパート火災に18m梯子車1台のみで過酷な防禦戦闘に立ち向かう羽目になります。)
当時日本も徐々に高度経済成長期に差し懸かってきていて40年代前半には高層建築と言えるものは
千葉県庁、県企業庁(旧千葉市役所庁舎)、県警本部、千葉市役所、奈良屋・扇屋・田畑・京成奈良屋・そごう(塚本ビル)・緑屋の各デパート、国鉄千葉駅の駅ビルや柏戸病院などがすでに出現していました。
学校関係でもぼちぼち3階建てが建ち始めていて、3階建ての公団住宅などが見られるようになっていました。
時代の要請として地方中小都市においても梯子車は徐々に必要とされ始めていました。
千葉県で2台目の梯子車はたぶん同じく千葉消防の購入した32m梯子車L24になると思います。
船橋消防の購入した24m梯子車はほぼ同年代なのですがたぶん千葉消防の32m梯子車の方が少し早かったと思われます。

この18m梯子車C17が本格的に実戦投入されたのは前に千葉消防徒然話その2で書いたように昭和43年2月の奈良屋百貨店火災の時でした。
(現、セントラルプラザ建物跡)
奈良屋百貨店に隣接したライオン堂という衣料品店の店舗改築工事現場から出火した火災は燃え広がって奈良屋百貨店にも類焼しました。
この時18m梯子車C17は火元のライオン堂の改築現場の火災防禦にあたりました。
千葉消防にとっての初めての本格的中高層建物火災でいささか戸惑いはありましたが逃げ遅れ要救助者の救出・高層防御活動ともなかなかてきぱきしていました。
千葉消防の近代的な中高層建物の火災防禦、および救助活動の最初の1ページとしてはなかなか好成績だったと思われ、新聞も千葉消防はまだ不慣れではあったけれどよくやったと誉めていました。
(奈良屋百貨店火災の詳細は当千葉消防徒然話 その2をご覧下さい。)

悪夢の田畑百貨店火災はその3年後の昭和46年5月に起こりました。
この時は特別救助隊の32m梯子車(C24)、昭和45年に日本損害保険協会から寄贈を受けたばかりの15mシュノーケル車とともに臨場し、初期救助戦から長時間延焼防止戦と悪戦苦闘しました。
(途中から市原消防の32m梯子車の応援を受けることができましたが。)
この火災で明らかになったことは大規模建物の燃焼建物外側からの梯上放水は内部の上階延焼には気休めにしか過ぎないということでした。
実効的な戦術を行うためには多数の梯子車・ブレークスクワート車で建物内側から外部への炎の噴出を抑えながら火点の上層階に設けた延焼阻止の橋頭堡を確保しながら果敢に外部からと内部から同時進入して
制圧地域を広げていって火点上層階への延焼を迎え撃って阻止するという戦術が必要になるわけで、そのためには火災現場視察に訪れた東消庁のスタッフの漏らした、東京ならこの火災の規模なら梯子車は20台出場させるいう言葉に裏打ちされているわけです。
(実際、ホテルニュージャパン火災では梯子の架梯可能な
スペース限度いっぱいの台数の梯子車を出場させました。)
初期の人命救助戦と火災防禦戦を同時並行に行うには梯子車の絶対台数が必要なわけでその点で3台の梯子車しか持っていなくて有効な防禦戦術を展開できなかった千葉消防幹部をくやしがらせたわけです。
とは言え千葉消防も旧館屋上を利用したりしてかなり果敢な内部侵入を試みたのも事実で残念ながら大規模なフラッシュオーバーの発生で一時退避を余儀なくされてしまい上層階への延焼を阻止できなかった訳で、困難な戦闘に従事した隊員さんたちには本当にご苦労様なことでした。

18m梯子車L17は昭和50年1月の京成ストアー火災などを経たりしながら
(この火災の詳細は千葉消防徒然話 その11をご覧下さい。)
その後も県都中心部守護の要として活躍し続けました。
いすゞTXシリーズ全般の高評価に裏打ちされただけあって故障も少ない稼働率の高い良くできた車両であったようです。
面白いのは時々代替梯子車として臨港署本署に出向いていたことで臨港特別救助隊(昭和56年12月までは梯子特別救助隊でした。)
の32m梯子救助車L24の修理・点検時にレスキュー隊員を予備ポンプ車に載せるわけにもいかず
(東消庁ではそうしていましたが・・・)
その際には中央署本署から中央梯子分隊の18m梯子車L17を一時借用して梯子救助車として臨時運用していました。
昭和35年製のベテランオールドタイマーの梯子車にオレンジ服のレスキュー隊員が車外乗車して走行している風景はなかなか面白い光景でした。(笑)

18m梯子車L17は昭和55年12月に20年の長き任務を終えて引退しました。
中央署本署はその後ずーっと梯子車不在が続き、(車庫スペースの狭隘のため)
平成13年3月に長洲一丁目の新消防合同庁舎に119先端屈折式30m梯子車の新規配備により中央梯子小隊が20年ぶりに復活したのは皆様よくご存知のとおりです。

本年3月の稲毛本署への梯子車の増強によりいまや千葉消防は第一線梯子車10台を有するまでになりました。
(スノーケル車も含めて)
数年前の富士見町・栄町連続中高層建物火災発生にも何の苦もなく同時対処できるまでの充実ぶりは大変喜ばしいことです。
来年の花見川署本署新庁舎落成時にはおそらく特別救助隊の増隊や梯子車配置の移動等新しい動きが発生するものと思われます。


以上徒然のままに。


------------
投稿日:2003年8月17日
------------

投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:30

コメント