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2005年06月09日

千葉消防徒然話 その2

奈良屋百貨店(現セントラルプラザ)火災
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>masa様

千葉市 TAK

先日の12/13に読売新聞でセントラルプラザの32階の高層ビルへの建替え計画が報じられていましたが、あのセントラルプラザのビルには特別の思いがあります。
というのは、あのビルから千葉消防の近代的な中高層建物の火災防禦、および救助活動の歴史が始まったからです。

昭和43年2月27日の木枯らしの吹きすさぶ寒い頃でした。
(何と古い話なんでしょうか!?)
現在のセントラルプラザはその当時は奈良屋百貨店、現在の千葉駅近くの千葉三越デパートの前身が営業をしておりました8階建て中高層店舗でした。
その頃はまだ中高層建物なんてあまり数がなかった頃で、他には県庁、市役所(今の千葉県企業庁の
建物)、県警本部、扇屋百貨店、田畑百貨店、千葉駅ビルくらいしか記憶がありません。
夜7時少し前くらいだったと思いますが火の手が上がりかなり遠くからでも空が赤く染まって見えました。
正確には奈良屋百貨店に隣接したライオン堂という衣料品店の改築工事現場から出火しました。
私もまだほんのガキだったのですがまったく偶然にも現場から遠くないところに居合わせておりましたのでさっそく野次馬した次第です。
私が息せき切って現着したときにはすでに出火元のライオン堂改築現場から隣の奈良屋に延焼しようと
しはじめていた時でした。
7・8階の隣接部分が煙を出し始めており内部にも煙が立ち込めはじめていたようで、屋上には2.3名の人が避難して手を振っているなかなか緊迫した状況でした。

当時千葉市消防本部は千葉市消防署本署配備の昭和35年式18m機械式梯子車(いすゞTX641改)と、昭和41年に特別救助隊に配備された新鋭の32m梯子(日野レインジャーTC30改)の計2台を所有していました。

千葉消防には昭和41年に近代的な消防特別救助隊が創設されていました。横浜市消防局に合宿に赴いて直接指導を受けた後に正式開隊しました。
隊員は隊長と隊員10名が2交替とのことでした。
その時は32m梯子と呼吸器や油圧救助器具などを積載したトヨタのダイナの幌付きトラックの資機材搬送車の2台でペアでした。
(救助工作車はその時点ではまだなくて、奈良屋火災の年・昭和43年の末に購入されました。)
千葉市消防署本署の車庫は狭くて32m梯子が入らないので西千葉出張所に車庫を建て増しして駐屯していました。
当時の特別救助隊員の服装は水色の安全乗車帽に紺の作業服、銀色のアルミ吹き付け防火上衣でした。

ライオン堂の出火元への防禦活動と並行して奈良屋百貨店の正面に32m梯子が横付けされて梯子が
スルスル伸びて行って屋上の要救助者への救助活動が開始されました。
リフターで隊員が要救助者を一人づつ地上におろしていきました。
その横では屋上に設置の丸に「奈良屋」と点燈しているネオンサインに火が燃え移り始めていました。
外からは見えませんでしたが内部進入検索も同時に実施されていたようです。
救助活動を終えてから奈良屋側の本格的な防禦活動が始まりホースの釣り下げ延長や梯上放水も開始しされました。
最終的には奈良屋百貨店は一部焼損(1715平米)で済みました。

ほんとにまだガキだったので記憶が多少あいまいなところがありますが千葉消防の近代的な中高層建物の火災防禦、および救助活動の最初の1ページとしてはなかなか好成績だったと思われます。
新聞も千葉消防はまだ不慣れではあったけれどよくやったと誉めていたのを記憶しています。

以上、徒然のままに。


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投稿日:2000年12月24日
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投稿者 taksoho : 2005年06月09日 05:06

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