2007年12月31日

千葉消防徒然話 番外編 その1

千葉市消防団の装備


>masa様

千葉市 TAK

横レスで失礼します。
ご指摘の通り現在、千葉市消防団の装備車両は小型動力ポンプ積載車しかありません。
しかし、昔はポンプ車を装備していました。
昭和41年予算年度までは必要に応じて消防本部/消防局の第一線使用車両とまったく同じ小型ポンプ車の新車(たとえばトヨタランドクルーザーFJ45V改)
を新規購入して支給していました。
また、なんと一時期、いすゞTXG10クラスの水槽付ポンプ車まで持っていました。
(これは昭和44年の土気町との合併で土気町消防団の所有車両が千葉市消防団に第21分団として組み込まれたためです。土気町消防団は編入までは消防最前線部隊でしたのでなかなか士気が高かったようです。)
しかしそれ以降は新車支給を止めて、消防局で経年更新の予備ポンプ車として使用終了した老朽車両(はっきりいえば廃車レベル)
をまわすようになりました。
あるいは更新期限を過ぎたようなそれまでの所有ポンプ車を引っ張ってだまして使っていました。
従って、消防団の所有車両は一時期、まあ、スクラップに近い古い車両ばかりになってしまって団の側でかなり不満が募っていたようです。
ひとつには昭和46年の田畑百貨店火災において当時の現場最高指揮者の大石局次長が防御投入部隊を局職員のみに限ったため、(高層ビル火災の戦闘なので無用な事故が起きないようにむやみな人員投入を避けたこと。)
それ以降消防団は第一線にはあまり出なくなりました。
せいぜい中継送水作業くらいになりました。
大都市消防でも西日本などでは第一線部隊として消防団が中高層建物火災や危険物火災などにまで出場している例は結構あるようですが。
面白いことに昭和52年度以降、7〜8年くらいの間消防出初式には局所有の小型ポンプ車はまったく出なくなって
しまっていました。
これは出初式に小型ポンプ車(とりわけ新車)を見せてしまうと団の側の不満がつのるのでという話でした。(笑)
局の団係の方もなかなかご苦労があったようです。
確か昭和61〜2年前後くらいだったかと思いますがとうとう団の側の不満を解消すべく超老朽車両を一挙大量に新規購入の小型動力ポンプ積載車に更新しました。そして数年にして全部入れ替えてしまいました。
それ以来千葉市消防団の装備車両は小型動力ポンプ積載車一本に統一されました。
団長さんにもセダン型指揮車が支給されました。
以降、消防出初式にも局所有の小型ポンプ車が出てくるようになりました。(笑)

以上、ご参考になれば幸いです。


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投稿日:2001年12月3日
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投稿者 taksoho : 05:35 | コメント (0)

千葉消防徒然話 番外編 その2

千葉消防の移動貯水車


>masa様

千葉市TAK


10t積載型水槽車(SL)のことですね。
千葉消防では移動貯水車と称しておりました。
車両形式はいずゞSPG540の3軸ロングシャーシー、車両の最後尾にB2型ポンプを備えていました。
最大の特徴は水槽がステンレス製の乳製品や飲料を運搬するタンクローリータイプでいざという時は生活飲料の給水車としても使えることでした。
この車両は昭和52年12月に千葉消防に寄贈(!)されました。
ずーっと真砂町の局本部に置かれ、警防課直轄で運用されていました。
平成4年4月に政令指定都市になると同時に緑署本署に配置替えとなりました。
まあ、あんまり活躍はしていなかったようで、演習・出初式以外で緊急走行していたところは1度も見たことがありませんでしたね。
山林火災などにはそれなりにときたま出ていたんでしょうが。
平成9年中まで在籍していたようですが結局更新はされませんでした。
更新されなかった最大の理由は千葉消防が政令指定都市になった時期にあわせ従来の1.5t積載型水槽付ポンプ車を4.5t積載型水槽付ポンプ車に切り替え購入・運用を始めたことが最大の理由と思われます。
確かに4.5t積み2台あればSL1台とほぼ同じなのですから効果対費用の面でメリットが少なくなったんでしょう。

先程この車両は寄贈されたと書きましたが、愛称を”斉藤7号”とつけられておりました。
これは斉藤市蔵さんとおっしゃる斉藤油脂株式会社の社長さんが消防車寄贈マニアでいらっしゃって
昭和36年10月に水槽付ポンプ車を寄贈以来、
(初代”斉藤号”、蘇我出張所に配備)、
昭和43年に救急車2台、
(”斉藤2号、””同3号”、穴川と中央署本署に配備)
昭和47年に水槽付ポンプ車2台
(”斉藤4号、””同5号”、西千葉と幕張に配備)
昭和51年にマイクロバス型指揮統制車
(”斉藤6号”、局本部警防課に配備)
そして最終寄贈の7号車が前述移動貯水車でした。
(斉藤さんがまだご存命かどうかわかりません。)

まあ、消防予算貧弱なりし頃の千葉消防にとってはまことにありがたいご厚意でした。


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投稿日:2000年2月18日
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投稿者 taksoho : 05:37 | コメント (0)

千葉消防徒然話 番外編 その3

臨港1小隊使用車両の隊名表示について


>消防都纏 様

千葉市 TAK


こんにちは。
ご回答が遅くなりましてすいません。


>臨港の1小隊は化学車なのにドアの文字は
>臨T-1となっています。


お尋ねの臨港1小隊の使用車両(C2)の隊名表示が化学車なのになぜ臨T−1
(水槽付ポンプ車の扱い)
になっているかですが、これは同一署所での化学車の複数台配置によるものと考えます。

他例を見ていくと美浜本署のポンプ1小隊は大型化学車を使用していますが、ドア下の隊名表示は
美C−1になっています。
当然こちらの表示が原則的・普遍的で、臨港1小隊の使用車両もこれに倣うべきなのですが、それではなぜ、T表示になっているのか、車両種類区分としてはホスカー付普通化学車(CP)に間違えなく認識区分されているわけで車両コードは平成1年3月に南署本署(現・宮崎出張所)に新車就役以来ずーっとC2の筈です。
別に化学消火装置を取り外したとかいうことはまったくありません。
この普通化学車(CP)が平成8年3月に宮崎出張所から臨港出張所に配置替えされた時点で、すでに臨港に配置されていた大型化学車(耐爆装甲化学車を更新した車両)に臨C−1と書かれてあった表示を臨C−2と書き換え、新規転属配置の普通化学車(C2)に臨C−1と書き込むべきだったのでしょうが、
おそらく大型化学車の表示をも書き換えるのがちょっとだけ面倒だったんでしょう。(笑)
大型化学車の表示を臨C−1のままにして普通化学車(C2)の表示を臨C−2と書く方法もあったのでしょうが、ポンプ1小隊として使用するのでそうしたくなかったのではないのでしょうか。
(あくまでも推測ですが。)

なお、化学車の複数重複配置の実例としては南署本署が嚆矢です。
昭和54年2月にもともとあった普通化学車(C43)に加え、(南署1分隊として運用されていました。)
損害保険協会より寄贈された大型化学車(C10)が追加配備されて重複運用されました。
その後配置移動があって南署本署にポンプ1分隊に生浜から水槽付ポンプ車が廻ってきて化学車の
重複配置は一旦消えましたが、平成1年3月に上記のとおり、普通化学車(C2)の新規配備に
よって再び重複配置が復活しました。
平成8年3月に先に書いたとおり普通化学車(C2)が宮崎出張所から臨港出張所に配置替えされたことで重複配備は消えました。

また平成2年1月に、それまで中央署本署に配備されていたDC化学車(CD)が高浜出張所に配置替えされて、すでにあった3点セットのユニットの大型化学車と重複配置になったことがあります。
DC化学車はその後平成5年4月の打瀬出張所の新設にともなって高浜より転属して重複配置は消えました。

化学車の同一署所への重複配備は東消庁でさえも非常に珍しく、せいぜい空港分署くらいのものです。
市原やら袖ヶ浦やら成田あたりでは化学車の台数が多いので見られるかもしれません。


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投稿日:2001年4月3日
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投稿者 taksoho : 05:38 | コメント (0)

千葉消防徒然話 番外編 その4

貴方の家の隣に消防出張所を作ってもらう傾向と対策


千葉市 TAK


>masa様

最近こちらのネットでは稲毛・花見川地区の消防力不足を指摘なさる声がしきりに交わされていますが、タイトル通り、貴方の家の隣に消防出張所を作ってもうらう方法を実例を混えてちょっとご紹介申し上げます。

昭和58年5月に南消防署管内の越智町
(当時。現在は緑署管内)
に突如、越智出張所が業務を開始いたしました。
これは極めて寝耳に水でそれまでのいかなる千葉市の長期計画にも記載されていないものでした。
昭和55年3月に南署管轄に泉出張所。
昭和56年3月に同じく南署管轄に土気出張所が開設されていましたので市の東部、東南部の消防力整備拡充は一応終わったものとばかり思っていましたので心の底から驚いたわけです。
しかし、しばらくしてその事情がわかってきました。
実は角栄建設さんという建設会社が角栄団地という大規模な戸建住宅団地を分譲するにあたって敷地、
建物、ポンプ車・救急車などの消防車両を自前で提供して越智出張所を新設してもらったのでした。
(職員の人件費はどうだかわかりません。
たぶん年数を限って負担したのではないかと思われます。)
この方法は請願消防制度と言いまして、古く昭和の初期から行われていた制度なわけです。
デパートや競技場・ホールなどの人の多数集まる場所に警備の消防職員の派遣だけの場合と、例えば万博会場内に臨時の消防出張所を設けて常駐してもらう方法とがあるわけです。
越智の場合は当然後者で、建設会社側では団地に消防署も交番も(約300メーターくらい土気駅寄りの熊野神社というところに土気幹部派出所という交番がすでにありました。
いまは土気駐在所と統合されて土気駅前交番になって現在はありません。)ありますよと
いうことをひとつのセールスポイントにしたわけで、千葉消防にとっても署所の管轄の条例を市議会に
変更決議してもらうだけで財政負担なしで消防力強化ができるのですから双方メリットがあったからということだったのでしょうか。
同じように貴方の家の隣にも消防出張所を誘致できる可能性があるわけです。(笑)
(ただし、少なくとも1.5km範囲内にすでに消防署、あるいは出張所があると駄目でしょうけれど。)
話題の「幻のこてはし台出張所」もこの方法で実現させられる可能性があるわけです。
仮に、住宅都市整備公団あたり、あるいは付近の町内会の連合会が前記の費用を提供できれば敷地はすでに確保されているのですからそんなに難しいことではないと思われます。
千葉消防の側でも横戸消防用地のそばには花見川本流が流れているのだから大容量ポンパーとホース延長車もついでに寄付してもらえばなんて虫の良いこと考えたりしてみてはいかが。


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投稿日:2000年3月28日
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投稿者 taksoho : 05:39 | コメント (0)